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東京高等裁判所 平成4年(行コ)54号 判決

控訴人 対馬滋 ほか一名

被控訴人 国

代理人 山元裕史 広瀬昭寿 東亜由美 古川敞 ほか六名

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

第一申立

一  控訴人ら

1  原判決主文第二項を取り消す。

2  被控訴人は、控訴人ら各自に対し、各金七五万円及び内金五〇万円に対する昭和六二年七月一五日から、内金二五万円に対する同年一〇月一六日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

4  2項につき仮執行の宣言

二  被控訴人

控訴棄却

第二当事者の主張

次のとおり付加するほかは、原判決事実摘示のとおりである(ただし、原判決中の「被告名古屋拘置所長」及び「被告拘置所長」を「名古屋拘置所長」と、同四枚目表三行目、同七行目、同一〇行目、同裏八行目及び同一〇枚目裏七行目の「原告対馬」を「控訴人対馬及び同木村」と、同四枚目表三行目、同七行目及び同末行の「原告木村と」を「両名」と各改め、同裏九行目の「理由に」の次に「両名の」を加え、同八枚目表末行の「被告」から同裏一行目の「ともに、」まで、及び同六行目から同一〇枚目裏四行目までを各削除し、同一六枚目表一〇行目の「プライパシー」を「プライバシー」と改める。)から、これを引用する。

一  控訴人ら

1  本件各接見不許可処分の対象

本件各接見不許可処分の対象は、控訴人対馬及び同木村の両名である。まず、接見不許可処分が、接見を求める者に対して行われるものであることについては、監獄法四五条は、「在監者ニ接見センコトヲ請フ者アルトキハ之ヲ許ス」と規定し、同法施行規則一二五条は、これを受けて「許可ヲ与ヘタル者ニハ接見者心得事項ヲ告知ス可シ」と規定し、接見不許可処分が接見を申し出た外部の者に対して行われることを明らかにしている。

次に、接見不許可処分が未決の在監者に対しても行われることについては、刑事訴訟法八〇条は、「勾留されている被告人は、同法三九条一項以外の者と、法令の範囲内で接見……することができる」と規定してこれを明らかにしており、この法令による制限とは、監獄法四五条及び同法施行規則一二一条ないし一二四条を指すものとされている。

接見は二人以上の者の共同行為であるから、接見の許可もその双方に対するものと考えるのが当然である。一方が接見を希望しなければ、接見は実現しないのであるから、接見をするということは、その性質上双方の希望に基づいて行われるものであることは明らかである。在監者の方から連絡して接見を求める場合であっても、実務的には、接見を求める者の方から接見希望の意思表示(接見の申出)をすることになっている。その場合、外形上は在監者に対する不許可の意思表示は行われないが、この場合接見についての法的利益は双方にあり、これを専ら接見を求める者又は在監者の一方のみに対する処分であり、相手方の接見の利益がその反射的利益にすぎないとするのは実状に反するし、監獄法及び刑事訴訟法の規定にも反する。

以上のような法令の規定、接見の性質、接見不許可の手続の実態などを総合すると、接見不許可が接見を求める者と在監者の双方に対する処分であることは明らかであり、接見を求める者も勾留中の被告人もいずれも原則として接見する権利を保障された上で、勾留目的や規律維持との関係から、拘置所長の許可を経て接見することとされているのである。

2  本件各接見不許可処分までの控訴人両名の状況等

(一) 控訴人木村は、昭和五六年一月二〇日の逮捕当時、同控訴人の刑事事件に関する新聞報道事件(〈証拠略〉)を全く読んでいなかったし、その他にもどのような報道がされていたか全く知らなかった。控訴人木村が名古屋拘置所内で新聞を購読するようになったのは、同年四月一日からであり、その後も右刑事事件に関する記事は、同年五月五日の被害者の遺体発見時及び同月一五日の初公判時の記事を含めて拘置所当局によりすべて抹消されていた。

控訴人木村が自己の刑事事件に関する報道内容(〈証拠略〉)を知ったのは、刑事事件の判決確定直前の昭和六二年七月一四日にこれらの記事のコピーを母から差し入れてもらったときである。

したがって、控訴人木村は、名古屋拘置所入所時にマスコミの取材、事件報道についてその内容を知っていたということはなく、逮捕当時からマスコミに対して過敏な反応を示していたということもない。

(二) 昭和五六年三月二八日の控訴人木村と友人との接見における会話のうち、控訴人木村が当時交際していた女性Aに関する会話のうち、「今、解放してやったほうが一番いいのじゃないか、辛いけど」という控訴人木村の言葉は、マスコミからの解放ではなく、同控訴人との関係を清算したほうがよいのではないかとの趣旨である。同年一一月三〇日付けのA宛の発信も、控訴人木村が同月一二日と二六日の公判における被告人質問でAのことを聞かれたが、その後Aにマスコミからの迷惑がかからなかったことに安堵した心情を書いて送ったものである。控訴人木村が逮捕されて以降、弁護人、実母及び外部の者は、Aに対し、控訴人木村に対する心証を考慮して同控訴人と接見することを控えるように忠告していたが、A自身は、控訴人木村と会いたいとの気持ちを強く持っていてその旨を手紙に書いて同控訴人に送っていた。控訴人木村の右発言や発信は、Aとの関係自体をどうすればよいか悩み続けていた同控訴人の心情を表明ないし記述したものである。これは、マスコミのAへの接触に対し、控訴人木村のAへの思いやりのひとつである。控訴人木村と友人、実母及びAとの面会と手紙の交信は多数回にわたっているが、取り立ててマスコミの話をしたことはなく、マスコミについて触れたのはわずかである。このように控訴人木村は、逮捕当時からマスコミに対して過敏な反応を示していたことはない。

(三) 控訴人木村は、昭和六一年一〇月頃最高裁判所から弁論期日の通知を受けてから本件各接見不許可処分を受けるまでの間、最高裁判所に対する上申書提出期限が迫っていたことから、延灯許可を受けながら、上告趣意書の補充書や上申書の作成に毎日取り組んでいた。右上申書の内容は、死刑制度の違憲・不当性のみならず、控訴人木村の事件に対する贖罪や生い立ちを含めた「事件そのものの捉え直し」を詳細に綴ったものであり、これらの書面の作成は被控訴人の主張するような生への一縷の望みを求めたものではない。

控訴人木村は、本件接見不許可処分(一)当時、上告審判決が一か月半後に言い渡されることを知らなかった。控訴人木村が上告審判決の言渡期日を知ったのは、安田好弘弁護士が昭和六二年六月二六日最高裁判所から判決言渡期日の通知を受け、同月二九日に控訴人木村に面会してその旨を伝えたときである。したがって、控訴人木村が上告審判決の言渡しを目前に控えていたため、生への要求・執着が極限に達し、心理的に追い詰められていたということはない。むしろ、控訴人木村は、上告審になって「麦の会」に入るなどして視野を広げていたのであり、その心情は、かってないほどに落ち着き、心理的に追い詰められていたなどとはほど遠い心境にあった。

(四) 控訴人木村は、本件各接見不許可処分当時、「週刊アサヒ芸能」昭和六二年三月一九日号の「獄中会見」(〈証拠略〉)、月刊誌「創」同年四月号の「会見印象記」(〈証拠略〉)の各記事の内容及びこれらに対する控訴人対馬の関与を全く知らなかった。控訴人木村がこれらの記事を実際に読んだのは、本件訴訟提起後である。同控訴人の右各記事に対する評価は、これらの記事が荻野茂(以下「荻野」という。)においてKに直接取材して書いたものであっても、Kの深淵にあるものへの認識不足があり、その意味でパブリシティーという商業主義の域を出ないと考えるもので、獄中で自己の犯した罪の「捉え直し」をしている者は皆その時点での到達点における表現力しか持ちえず、自分がKの立場にあったとしても、ある時期の到達点としてこれらの記述に似たような表現しかできなかったかもしれない。そうであれば、右各記事がその時点での本人の言い分を聞いて書いたものである以上、それがどんなに当人に批判的なものであっても甘受すべきであり、自分ならそのことで動揺するようなことはないというものである。

(五) 昭和六二年五月二五日以前の控訴人木村と同対馬の相互の発信回数は被控訴人が主張するようにそれほど多くはなかったが、控訴人対馬のそれまでの活動歴(編集者としてどのような書物を手がけてきたかを含む。)、控訴人対馬が発行している月刊誌「創」の基調や同控訴人の他者との親交状況に照らし、当時、控訴人木村にとって、控訴人対馬はきわめて信頼に値する人物であった。すなわち、控訴人木村は、控訴人対馬とは面識がなかったが、同控訴人から受け取った二通の手紙に書かれていた死刑廃止運動家二名は、控訴人木村が絶大な信頼を置いていた人物であり、右二通の手紙だけからしても、控訴人木村の同対馬に対する信頼感は大きいものであった。したがって、控訴人対馬の本件各面会申込み当時、控訴人木村の同対馬に対する信頼は大きく、控訴人木村が同対馬との面会を希望していたことは明らかである。控訴人木村が、昭和六二年五月二五日、控訴人対馬が差し入れたKの著作「冥晦に潜みし日々」を閲読しなかったのは、控訴人木村において同対馬の出版物に対し反発していたとか興味を持っていなかったということではない。当時、控訴人木村は、前述のとおり、「事件そのものの捉え直し」の作業をしていたが、その時点で他者であるKの贖罪意識を述べた「冥晦に潜みし日々」を閲読してしまうと、自分の贖罪意識の希薄さとの闘い、取り組みにとってマイナスになると確信していたからにほかならない。控訴人木村は、上申書の作成のみならず被害者の遺族に対して謝罪の手紙を出すことも含めて自己の贖罪意識と真摯に向き合っていた。とりわけ遺族への手紙は、書きながら己の罪悪感の希薄さ、不十分さを自覚するという、控訴人木村にとっては出口の見えない自己との闘いが続いていた。控訴人木村は、刑事事件の判決確定後もその苦しい闘いを自己に課し、平成五年五月に至って、ようやく遺族への手紙を書き上げた。したがって、控訴人木村が「冥晦に潜みし日々」を閲読しなかったことは、控訴人対馬との信頼関係を左右するものではない。

3  本件各接見不許可処分の理由及びその違法性

(一) 本件各接見不許可処分の理由は、次のとおりである。

(1) 本件接見不許可処分(一)の理由は、「控訴人対馬が誓約書の提出を拒否したため取材目的の接見であると判断したこと」である。

(2) 本件接見不許可処分(二)の理由は、「控訴人対馬の接見目的が取材であったこと」である。

(3) 本件接見不許可処分(三)の理由は、「接見目的は結構だが、控訴人対馬が誓約書の提出を拒否したため接見内容を公表されるおそれがあったこと」である。

すなわち、本件においては、取材目的の接見を一切認めないのか、個別事情を考慮するのかとの問題とは別個に、「取材目的である」「誓約書の提出を拒否したため取材目的と判断されるあるいは公表のおそれがある」ということが処分理由であった。このことは、控訴人らが訴えの提起段階から主張してきたところであり、被控訴人の原審における当初の準備書面においても「取材目的の接見を認めない取扱いをし、疑義がある場合には誓約書をとってきた」と記述され、また、「取材目的の接見を認めることの弊害」が繰り返し強調されていること及び〈証拠略〉の内容、本件接見不許可処分(二)は申込みからわずか数分で不許可となったこと(〈証拠略〉)からも明らかである。

(二) ところで、被控訴人は、原審においては、控訴人木村の名誉・プライバシーの侵害、心情の不安定化については、本件各接見不許可処分時に具体的にそのような事態の発生が危惧されたとは全く主張していなかったし、控訴人木村の自殺・自傷のおそれについては、一般論として抽象的に触れたにすぎなかったのに、控訴審になって、本件各接見を許可すれば、控訴人木村の名誉・プライバシーを侵害し、これが契機となって同控訴人の心情が害され、ストレスを負い、その結果自殺・自傷行為に及ぶ危険があった、ということを不許可処分の理由として強調するに至った。

しかし、このような行政処分の違法性の有無が問題とされている事件では、当該処分が行われた時点で、処分者が実際に考慮したのはいかなる点であったかが問題とされるべきであり、処分時に検討・考慮されなかった事実を後に処分理由として主張することは許されない。

本件のような行政処分については拘置所長に一定の裁量権があり、行政処分が違法か否かは、所長に裁量権の濫用・逸脱があったか否かで判断されるところ、本件において、仮に名古屋拘置所長が本件各接見不許可処分をした理由として「取材目的の接見である」「接見内容を公表するおそれがある」ということを加重に評価して、控訴人木村の名誉・プライバシー、さらには心情の不安定化による自殺・自傷のおそれなどの点をほとんど考慮していなかったのであれば、その処分の違法性が検討されなければならない。被控訴人側において、後になって、どのような主張をすれば裁量権の濫用にならないかという見地で新たに処分理由を作り出すなどということが許されるはずはない。処分者が処分時におよそ考慮・検討しなかった事柄を、後に訴訟代理人が訴訟の作戦として主張できるとしたのでは、そもそも処分者に専門家としての裁量権を認めている趣旨に反し、当該処分について非専門家である訴訟代理人が恣意的に処分理由を作り上げることを認めることになる。このようなことがかえって行政処分の裁量性を認めた趣旨に反することは明らかである。

したがって、本件では、当時の名古屋拘置所長が、実際にいかなる事柄を考慮・検討して、いかなる理由で控訴人両名の接見を不許可にしたのかを明らかにした上、そのような理由による不許可処分が適法なものといえるか否かが検討されなければならない。

(三) 本件各接見不許可処分の経緯、処分理由によれば、本件各接見不許可処分において実際に考慮・検討されたのは、「控訴人対馬がジャーナリストであり、かつ、取材目的の接見であることを明らかにしたこと」「控訴人対馬がジャーナリストであり、かつ、誓約書の提出を拒否したこと」に尽きるのであり、控訴人木村の名誉・プライバシーの侵害、さらにはそれが控訴人木村の自殺・自傷のおそれを招き拘禁目的を害するなどということを考慮していなかったことは明白である。いずれにせよ、本件各接見不許可処分は、控訴人木村の自殺・自傷のおそれが具体的に存し、それが拘禁目的を害するなどということとは関係のない理由で行われたものである。

したがって、本件では右の範囲での処分理由につき違法性の有無を論じれば足りるのであり、これが違法であることは明白である。拘禁目的を害するおそれがあったという処分理由は、被控訴人代理人が控訴審で訴訟の作戦として主張・立証したものにすぎないから、本件でかかる処分理由を考慮しなければならない理由はない。

(四) また、仮に当時の名古屋拘置所長が控訴人対馬によって取材記事が公表されることにより控訴人木村の名誉・プライバシーが害されるおそれがあるか否かを考慮したとしても、そのおそれは控訴人木村の意向さえ確認していないから、現実的弊害を認定できない程度のきわめて抽象的なおそれであったというべきであり、その程度のおそれがあったにすぎないということが実際に考慮・検討されたことの限界であった。

すなわち、名古屋拘置所長が本件各接見を許可したとしても、控訴人木村において自殺・自傷行為に及び拘禁目的(勾留目的)を阻害するおそれは全くなかった。控訴人木村が逮捕当時からマスコミに対して過敏な反応を示していないこと、控訴人木村と同対馬との間には信頼関係が確立していたこと、当時控訴人木村は刑事事件の上告審判決が目前であったことを認識していなかったこと、控訴人木村は生への一縷の望みとして上告審を捉えていたのではないことは、前述のとおりである。

(五) 名古屋拘置所長は、被控訴人の主張によれば控訴人木村の心情が最も不安定であるはずの刑事事件の判決確定直前の昭和六二年七月一四日に控訴人木村の心情を害するであろうはずの記事(〈証拠略〉)の差し入れを許可しており、被控訴人の主張は矛盾している。なお、控訴人木村は、これらの記事を読んでも自傷、他傷行為などには及ばなかった。

被控訴人は、控訴人木村と同対馬との接見を許可すると、両名間の遣り取りや些細なことによって控訴人木村が自暴自棄となり、自殺・自傷行為に及ぶおそれが多分にあったというが、名古屋拘置所長は、後日控訴人木村と同対馬の接見を四回にわたり許可していることからしても、そのようなおそれがなかったことは同拘置所長自身認めていたはずである。

(六) 更に、名古屋拘置所長が本件各接見を許可したとしても、控訴人木村において、監獄の規律秩序を阻害する相当の蓋然性など全くなかった。当時、控訴人木村は、刑事事件の上告審の上申書等の提出期限が迫っており、それこそ己の心身を削り取るような厳しい態度で「事件の捉え直し」の作業に専心していたのであり、控訴人木村の人格評価はこのような態度によってこそ正当に評価されるべきである。

二  被控訴人

1  本件各接見不許可処分までの控訴人両名の状況

(一) 控訴人木村は、昭和五五年一二月二日、身代金を得る目的で、家庭教師を依頼する旨の詐言を用いて女子大学生を誘拐するや、その直後に同女を殺害し、その遺体を木曽川に投棄しておきながら、殺害したことを秘して再三にわたり、執拗に身代金を要求するなどしたことにより起訴され、昭和五六年三月一三日、名古屋拘置所に入所し、同五七年三月二三日、名古屋地方裁判所において死刑判決が、同五八年一月二六日、名古屋高等裁判所において控訴棄却の判決が、同六二年七月九日、最高裁判所において上告棄却の判決が言い渡され、同年八月六日、死刑判決は確定した。その犯行は、冷酷非情であり、右各判決においても指摘されているとおり、「自己の欲望を満たすためには他人の生命さえも犠牲にし、その家庭を破壊して憚らない非人間的、反社会的なもの」である。

(二) 控訴人木村は、昭和五六年一月二〇日に逮捕されたが、同控訴人の敢行した身代金目的誘拐・殺人事件については、同五五年一二月二六日公開捜査となって以降、連日のように新聞等で報道され、新聞紙上には犯人を激しく非難する論調の記事が掲載され、逮捕前の控訴人木村は、これらの報道記事を自由に閲読し得る立場にあったから、同控訴人がこれらの報道を全く知らなかったとは考えられないところである。右事件に関する報道は、控訴人木村の逮捕後も続き、逮捕の翌日である同月二一日の中日新聞の紙上において、「むごい、殺すなんてこれでも人間か!」「追及の興味に酔う」「自己顕示欲が強い」「意思薄弱型の人間」「暴かれた仮面」「冷酷無比の木村」「留置場でぐっすり、木村、不気味な落ち着き」などと題した記事(〈証拠略〉)が掲載されたのを始めとして、事件発生から被害者の遺体発見時、第一回公判期日のころまでマスコミにおいて頻繁に取り上げられていたが、控訴人木村は、逮捕・勾留中もこれらマスコミによる取材報道を強く意識していたことが、当時の接見の内容等から認められる。すなわち、控訴人木村は、同年三月二八日、友人との接見において、事件前から関係のあった女性Aがマスコミから取材攻勢を受けている立場を憂い、「今、解放してやった方が一番いいのじゃないか、辛いけど」などと述べて泣き出し、同年五月一三日、実母及びAとの接見の際には、Aに対して「まだ報道関係ある?」と尋ねるなどしてマスコミによる取材・報道の有無を心配しており、また、同年六月一七日、実母との接見の際、実母から、マスコミがAから色々聞き出そうとしている旨を聞かされ、控訴人木村は、同年一一月三〇日、A宛の発信の中で「一二日と二六日の公判ではAのことも随分尋ねられたので、マスコミの心配をしたが、それらしき事もなかったようで安心した。」との記載をしている。更に、控訴人木村は、昭和五七年一月一二日の実母との接見では、Aに関係すると思われるテレビ番組のことを気にかけ、「昨日の晩はそのことが苦になってね」と述べるなど、自己の家族あるいは関係者に対するマスコミの取材や報道に対して過敏な反応を示し、これを憂慮していた。また、控訴人木村は、昭和五六年一二月二六日の実母との接見では、「新聞は片寄った書き方をするからな」と述べて、マスコミの取材・報道の内容に対する不信の念を吐露しており(〈証拠略〉)、同控訴人が自己に批判的な内容の報道に接して何ら動揺しないとは、到底考えられない状況であった。

(三) 控訴人木村は、本件接見不許可処分(一)当時、第一、二審において死刑判決を受けて上告中であり、上告審判決の言渡しを約一か月半後に控えた時期であった。当時、控訴人木村は、死刑制度の違憲・不当性及び量刑の不当性を訴える上告趣意書の補充書あるいは上申書等の作成に毎日取り組んでおり、また、当該書面の作成のためとして、名古屋拘置所の就寝時間(午後九時)の延長を願い出て、昭和六二年五月一日から同月一八日までの間及び同年六月九日から同月一四日までの間、それぞれ午後一一時までの延灯及び当該書面の作成を許可されていた。控訴人木村は、右補充書提出期限が既に設定されていたことから、判決期日が間近に迫っていたことは十分認識しており、右上申書において死刑判決を免れるべく生への一縷の望みをかけて減刑を訴えていた。なお、控訴人木村が上告審の判決言渡期日を最初に知ったのは、控訴人らが主張する同年六月二九日ではなく、実母と接見した同月二七日であり、控訴人木村は実母からそのことを知らされたものである。右のとおり、控訴人木村は、上告審の判決を前にして、通常認められている認書時間を超え、運動時間や睡眠時間を削ってまでも上申書等の作成に没頭し、減刑を訴えていたものであり、同控訴人の生への要求・執着は極限に達し、心理的に非常に追い詰められていたものである。このような状況下にあって、名古屋拘置所長が控訴人木村の拘禁目的(勾留目的)を適正に達成するために本件各接見不許可処分をするについてこの点を考慮したことは当然のことである。

(四) 控訴人対馬は、昭和六一年一一月一八日、荻野を伴って名古屋拘置所を訪れ、接見内容を記事にするつもりはない旨の誓約書を提出した上で、同拘置所に在監中のKと接見したところ、同六二年三月一日発売の月刊誌「創」同年四月号及び同年三月一二日発売の「週刊アサヒ芸能」同月一九日号の各誌上において、「獄中会見」「会見印象記」などと題して右接見内容を公表した(〈証拠略〉)。しかも、その記事内容は「(Kは)反省心に欠けている。恨みも何もない人々を無差別に強殺したことのおびえはあっても、その罪過を負う心がない。いや、見栄で取りつくろうあさましい男の姿だけが手記にはある。軽薄な男だと思った。」「聞いていて、気持ちの深さが感じられないのだ。」「身内の者からは見捨てられた。あたりまえだ。」「いったい何を考えているのかわからない不気味さが、Kにはある。」「すべてを自分以外のせいにして逃げ続けてきた、Kの卑屈な心こそが問われるべきだろう。」(〈証拠略〉)、「人一倍強い自己保存本能の妄想に駆られた、哀れな男がいる。」「不幸な環境ではあったが、父のもろさに乗じるKは、改悛の情というものをその根底から持ち合わせていない種類の人間である、ということだ。」「Kの犯罪はとうてい許されるものではなかった。社会契約においてということを超えて、人間の品性においてである。」(〈証拠略〉)などというものであり、控訴人木村に関するマスコミの報道の論調と軌を一にするものである。

その結果、Kは、心情をいたく害され、控訴人対馬に対し、取材記事を掲載したことについて抗議するとともに、「荻野さんと面会すれば本に書かれるのではないかと心配だったので、面会時にその旨確認したのです。」「書かれても恨みはしませんが、やはりショックです。」「言ってみれば荻野さんにも対馬さんにも私の気持ちなどは無視されてしまったことになるわけです。」「単純に考えても、私のネームバリューに便乗した売名が目的だったのではないか、としか思えないのですよ。」などと、取材記事を掲載されたことによる心情の動揺が発露した手紙(〈証拠略〉)を送付している。なお、Kは、控訴人対馬が「週刊アサヒ芸能」昭和六二年三月一九日号の「獄中会見」の記事に関与しており、月刊誌「創」同年四月号の「会見印象記」がパブリシティーではなく、Kの意に反した内容をもった歴然たる取材記事であることを認識していた。

(五) 控訴人対馬から、控訴人木村との接見の申出が初めてされた昭和六二年五月二五日以前における控訴人木村と同対馬との外部交通の状況は、以下のとおりであり、当時、両名の間に信頼関係が形成されていたと認めることは困難である。

すなわち、信書の発受については、控訴人対馬からの発信が二回、控訴人木村からの発信が一回のみであり、しかも控訴人対馬からの信書の内容は簡単な自己紹介程度にとどまり、その思想信条あるいは報道姿勢等が十分に記されたものではない上、両名の間に接見の事実は全くなかったのであるから、控訴人木村と同対馬は、全く面識がなかったといえる状況であった。更に、控訴人木村は、それまで、Kについての取材記事を掲載した昭和六二年三月一二日発売の「週刊アサヒ芸能」同月一九日号を閲読したことはなく、名古屋拘置所に収容中のKが控訴人対馬を介して出版した書籍「冥晦に潜みし日々」が昭和六二年三月二五日に控訴人対馬から同木村に差し入れられたものの、控訴人木村は、同書籍の仮下げ(領置物を自己の居房で所持・使用すること)すら願い出ておらず、同書籍を閲読していなかった。したがって、控訴人両名の右のような当時の交信状況からすると、控訴人木村が一面識もない控訴人対馬に対して大きな信頼を持ちえたとは到底いえない。

2  本件各接見不許可処分の理由及びその適法性

(一) 本件各接見不許可処分の理由は、本件各接見を許すことにより、その接見の内容ないし印象が公表され、これにより控訴人木村の名誉・プライバシーが害され、その結果同控訴人の心情を害し、同控訴人に自殺・自傷の事故が発生し、拘禁目的(勾留目的)が阻害されるおそれが認められ、かつ、名古屋拘置所内の規律又は秩序を維持する上において放置することができない程度の障害が生ずる相当の蓋然性が認められたことにある。

右のとおり、本件各接見不許可処分の理由は、控訴人対馬によって行われるであろう報道が控訴人木村の心情を害し、拘禁目的(勾留目的)を阻害すること等を理由としてされたものであり、被控訴人は、右処分理由について、原審の段階から継続して、事実に忠実に整合性をもって主張しており、当審において、本件各接見不許可処分の理由を変更したり、被控訴人の指定代理人が処分理由を新たに作出したことはない。

(二) 控訴人木村は、逮捕当時からマスコミにより大々的に報道され、これに対して非常に過敏な反応を示していたものであり、他方、控訴人木村と同対馬との間には信頼関係が形成されておらず、控訴人木村は、同対馬の報道についての思想信条あるいは実際の報道姿勢をほとんど把握していない状況にあったのであるから、控訴人対馬が同木村と接見をした上でKについてしたものと同様の報道をした場合には、控訴人木村の精神状態に動揺をもたらすことは必至であった。特に、第一、二審において死刑判決を受け、生への一縷の望みである上告審判決の言渡しを目前に控えていた本件各接見不許可処分当時の控訴人木村の生への要求・執着は極限に達していたといえる客観的状況にあったのであるから、控訴人木村は、同対馬に対して有していたとする期待に反して、同控訴人によって自己の人格を否定するような報道がされたりした場合には、その前提となった接見におけるやり取りなど些細なことによって、生への要求・執着が反動的に作用して自暴自棄となり、自殺・自傷に及ぶおそれが多分にあったというべきである。したがって、名古屋拘置所長が拘禁目的(勾留目的)自体を阻害するおそれがあるとして、本件各接見を不許可とした点に違法はない。

(三) 控訴人木村は、極めて冷酷非情であり、自己の欲望を満たすためには他人の生命さえも犠牲にして非人間的、反社会的な犯行に及んだものであり、この点を考慮すると、控訴人木村が、同対馬に対して一方的に有していたとする期待に反して、同控訴人によって自己の人格を否定するような報道がされたりした場合には、些細なことによって心情の安定を失い、職員の指導・指示等に対し反抗するなどの規律違反、逃走、職員又は同衆殺傷などの事故に及ぶ蓋然性が相当程度認められた。したがって、名古屋拘置所長が監獄の規律秩序を阻害する相当の蓋然性があるとして、本件各接見を不許可とした点に違法はない。

第三証拠

本件記録中の原審及び当審における証拠目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  控訴人両名の地位及び本件各接見不許可処分の存在

控訴人木村が本件各接見不許可処分当時(昭和六二年五月二五日、同年六月一七日及び同年七月六日)、名古屋拘置所に刑事被告人として在監していた者であり、控訴人対馬が雑誌の編集者であること、控訴人対馬からの同木村との接見の申出に対して、控訴人らの主張するような経緯で、名古屋拘置所長が本件各接見不許可処分をしたことは、当事者間に争いがない。

二  本件各接見不許可処分の対象

本件各接見不許可処分が在監者以外の外部者である控訴人対馬に対する処分であるか否かについて、被控訴人は、監獄法は専ら在監者と監獄との間の法律関係を規制する法律であって、在監者以外の外部者たる一般人の権利あるいは法的地位を直接規定するものではないから、本件各接見不許可処分は外部者である控訴人対馬に対してされたものではないと主張する。しかしながら、監獄法四五条一項は、在監者の接見に関して、「在監者ニ接見センコトヲ請フ者アルトキハ之ヲ許ス」と規定し、同法施行規則一二五条は、「許可ヲ与ヘタル者ニハ接見者心得事項ヲ告知ス可シ」と規定して、接見許可・不許可処分が接見を申し出た在監者以外の外部者に対して行われることを明らかにしている。

本件においても、外部者である控訴人対馬は、本件各接見の申出にあたり、面会申込票に所用事項を記入して名古屋拘置所長に提出し、在監者である控訴人木村との接見を申し出たが、いずれも同拘置所長から係員を通じて不許可とする旨の告知を受けたことが認められる(〈証拠略〉)。

右のような法令の規定、接見申出及び接見不許可の告知手続によれば、本件各接見不許可処分は、接見を申出た控訴人対馬に対する拒否処分であることは明らかである。なお、本件各接見不許可処分が在監者である控訴人木村に対してされた処分であることについては、当事者間に争いがない。

したがって、本件各接見不許可処分は、接見を求めた控訴人対馬と在監者である控訴人木村の双方に対する処分であるということができる。

三  本件各接見不許可処分に至る経緯と処分理由

〈証拠略〉を総合すると、以下の事実が認められる。

1  控訴人木村は、身代金拐取、殺人等の罪で起訴され、昭和五六年三月一三日に刑事被告人として名古屋拘置所に入所し、同五七年三月二三日に一審の名古屋地方裁判所で死刑の判決を受け、その後、同五八年一月二六日に名古屋高等裁判所で控訴棄却の判決を、同六二年七月九日に最高裁判所で上告棄却の判決を受けて、右死刑判決が確定した者であり、その間名古屋拘置所に収容されていた。

2  右刑事事件に関しては、事件発生から第一回公判期日の頃まで新聞、テレビを通じ頻繁に報道が行われ、控訴人木村は、昭和五六年一月二〇日逮捕されるまでの間、マスコミの報道内容を知っていた。その内容は、直接事件に関係するもののみではなく、愛人関係、家族関係等プライバシーに属する点をも含め、厳しく非難する論調の報道が繰り返して行われており、同控訴人もマスコミに対し過敏な反応、不信感、嫌悪感を示していた。

3  控訴人対馬は、月刊誌「創」の編集、発行等の業務を行っている有限会社創出版の取締役であり、昭和五三年頃から、右月刊誌「創」の誌上に冤罪事件や死刑事件に関する記事を企画・掲載し、自ら同誌の編集者として、そのような記事の企画のための取材等をも行っていた。

控訴人対馬は、月刊誌「創」の記事の取材等をする過程で、昭和六一年五月頃、当時一審で死刑判決の言渡しを受けて名古屋拘置所に在監中であったKという人物と接触をもつようになり、有限会社創出版でKの手記を出版することになったことから、数回にわたって名古屋拘置所に赴き、Kとの接見を行っていた。すなわち、控訴人対馬は、昭和六一年一一月一八日、著述業(フリーライター)の荻野を伴って名古屋拘置所を訪れ、両名でKとの接見を申し出て、同拘置所側からの求めに応じて、当該接見がKの安否確認を目的とするものであって、取材目的のものではなく、面会内容を外部に発表等しない旨の自筆の誓約書を提出した上で、名古屋拘置所長の許可を得てKと接見し、更に、荻野は、その後も名古屋に滞在し、何日間か続けてKとの接見を行った。

ところが、その後、「週刊アサヒ芸能」の昭和六二年三月一九日号誌上に荻野の執筆したKとの「獄中会見」の模様を記載した記事が掲載され、また、月刊誌「創」の同年四月号にも、荻野の筆になる「連続殺人犯K会見印象記」と題する記事が掲載されるに至った。この各記事は、「なぜ、女性の下腹部にススキをさしたか」との扇情的な見出しを付け、Kの執筆した手記に対し「見栄を取りつくろうあさましい男の姿だけが手記にはある。軽薄な男だと思った。」との荻野の感想を折り込みながら、獄中のKとの間でのその犯行の状況等に関する会見の内容を報じ(〈証拠略〉)、また、獄中で会見したKについて、「自己保存本能が人一倍強く、小心者で猜疑心が深く、物事の見方に主観性が強い」「改悛の情というものをその根底から持ち合わせていない種類の人間である」等とその性格に関する印象や「はにかんだ笑顔を浮かべていても無表情な目」等とその表情についての印象等を報じたもの(〈証拠略〉)であり、いずれも、Kという人物に対する消極的あるいは否定的な評価を述べる部分が含まれており、控訴人対馬は、出版物の印税により被害者の遺族に贖罪をしたいというKの心情を承知しながら、Kの気持を無視し、これを裏切る報道をしたといえるようなものであった。これらの記事は荻野が執筆したものではあるが、「創」の記事は控訴人対馬が企画・編集し、「アサヒ芸能」の記事も「創」のいわゆるパブリシティーに類するもので、いずれも控訴人対馬が関与しているものである。そのため、右各記事を読んだKは心情を害し、控訴人対馬に対して面会内容が記事として掲載されたことに対する不満を訴える内容の手紙が発信された。一方、名古屋拘置所長は、面会内容を外部に発表しないことを誓約しながら、これを無視し興味本位の記事を雑誌に掲載した控訴人対馬の行動に対して警戒感を強めていた。

4  控訴人対馬は、Kと接見するために名古屋拘置所を訪れているうちに、控訴人木村も同拘置所に在監中であることを知り、昭和六二年三月頃から同年五月二五日の本件接見不許可処分(一)当時まで、差し入れや二回の文通を通じて控訴人木村と接触を持つようになった。控訴人木村は、それまで控訴人対馬と面識はなく、控訴人対馬の来信に対し一回返事を出したが、控訴人対馬が月刊誌「創」を発行し、同誌上に死刑制度に批判的な観点から死刑事件や死刑囚をテーマとした記事等を掲載していたことを知り、同控訴人との面接を希望するようになっていた。しかし、控訴人木村は、本件各接見不許可処分当時、Kに関する右の各記事を読んでおらず、控訴人対馬がこれらの記事の取材及び掲載に関与していたことを知らなかった。控訴人木村が右各記事を読んだのは、本件訴訟提起後であった。

5  控訴人木村は、刑事事件の上告審になって、昭和六一年三月「麦の会」に入会し、運営委員を務め機関紙に死刑制度を批判する記事を掲載するなどして死刑廃止運動に取り組んでいた。

控訴人木村は、同年一〇月頃、最高裁判所から弁論期日の通知を受け、本件接見不許可処分(一)、(二)当時、上告趣意書の補充書や上申書の提出期限が迫っていたことから、延灯許可を受けながら、これらの書面の作成にあたっていた。右上申書の内容は、自己の生い立ち、刑事事件に対する贖罪から死刑制度の違憲・不当性にまで及ぶものであった。なお、控訴人木村は、昭和六二年六月二七日、接見した母親から最高裁判所の上告審判決の言渡期日(同年七月九日)を知らされた。

控訴人木村は、同年五月二五日、控訴人対馬からKの著作「冥晦に潜みし日々」の差し入れを受けたが、これを閲読しなかった。その理由は、当時、控訴人木村において、右刑事事件の上申書の作成に取り掛かっており、その時点でKの贖罪意識を述べた「冥晦に潜みし日々」を閲読してしまうと、自己の贖罪意識の希薄さを自覚しこれを深化させていくという同控訴人の取り組みにマイナスに作用すると考えたからである。

6  控訴人対馬は、同年五月二五日、名古屋拘置所を訪れ、面会申込票の用件欄に「安否確認」と記載して、控訴人木村との接見の申込みをしたところ、保安課長及び同課長補佐から、全文自筆で「面会の目的が取材のためでなく、面会内容は一切公表しない」と記載した誓約書を提出するように求められ、これを拒絶したところ、名古屋拘置所長は、右保安課長らを通じて、控訴人対馬と同木村の接見を許可しない旨の本件接見不許可処分(一)をした。

7  次いで、控訴人対馬は、同年六月一七日、名古屋拘置所を訪れて、面会申込票の用件欄に「取材」と記載して、控訴人木村との接見の申込みをしたところ、名古屋拘置所長は、係員を通じて、控訴人対馬の取材目的での控訴人木村との接見を許可しない旨の本件接見不許可処分(二)をした。

8  更に、控訴人らは、同年七月三日、東京地方裁判所に、本件接見不許可処分(二)の取消等を求める訴え(原審の(行ウ)第七八号事件)を提起したが、控訴人対馬は、同年七月六日、右事件打合せのためとして、名古屋拘置所を訪れて、面会申込票の用件欄に「訴訟打合せ」と記載して、控訴人木村との接見を申し入れたところ、保安課長及び同課長補佐から、前同様の誓約書の提出を求められ、これを拒否すると、名古屋拘置所長は、右保安課長らを通じて、控訴人対馬から誓約書が提出されないことを理由に控訴人対馬と同木村の接見を不許可とする旨の本件接見不許可処分(三)をした。

9  名古屋拘置所長が右の三回にわたる控訴人対馬からの接見の申出をいずれも不許可としたのは、次の理由によるものである。すなわち、控訴人対馬は、前認定のとおり、つい最近Kとの接見に関して拘置所側に提出した誓約書による誓約内容に違反すると見られる行為をしたことのある人物であった。一方、控訴人木村は、当時、第一審及び第二審において死刑判決を宣告されて上告中の在監者であった。そこで、名古屋拘置所長は、控訴人対馬のKとの接見に関する過去の経緯や本件各接見申出当日における控訴人対馬の言動からして、控訴人対馬を無条件で控訴人木村と接見させた場合には、その接見内容が場合によっては再びKの場合と同様の興味本位とも見られるような記事となって公表され、在監中の控訴人木村の名誉やプライバシーが侵害され、同控訴人の心情が不安定となり、その結果同控訴人が自殺・自傷行為、規律違反、逃走、職員・同衆殺傷等の事故に及ぶおそれがあり、監獄内の規律又は秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性があると判断して、そのような事態を防止する目的で、控訴人対馬に対して、当該接見が取材目的のものではなく、面会内容を一切公表しない旨の誓約書を提出するよう求めた。しかし、控訴人対馬は、拘置所側の求めを拒否し、あるいは積極的に取材をその目的に掲げて接見を申し出たため、名古屋拘置所長は、結果的にこれらの接見の申し出をいずれも不許可とする本件各不許可処分をしたものである。

10  未決拘禁者の心情は一般に不安定であるが、特に死刑判決の宣告を受けた者についてはこの傾向が顕著であり、心情の不安定等が要因となって些細なことを契機として逃走、自傷、自殺、職員に対する殺傷事故が発生する虞がないではない。拘置所側にとっても、未決拘禁者の心情や行動傾向を把握し、これを未然に防止することは容易ではなく、過去にも保安上の事故が発生した事例は少なくない。本件各接見不許可処分当時、控訴人木村は既に長期間勾留されており、未決拘禁者一般の心情と行動傾向を有していたものと推認され、かつ、第一、二審で死刑判決を受け、上告審判決言渡しを間近に控え、上告趣意書の補充書等の作成に連日取組み、運動時間を短縮し、再三就寝時間の延長を出願していた等の状況にあったから、非常に切迫した、不安定な心理状態にあったというべきであり、名古屋拘置所長が控訴人木村の心理状態を右のように分析したことは、不合理とはいえない。

11  控訴人対馬は、同木村に対する死刑判決が確定した後である昭和六二年一一月一一日、平成二年七月一六日及び同年九月二五日、本件訴訟事件等の打合せのため、名古屋拘置所を訪れて、面会申込票の用件欄に「訴訟打合せ」と記載して、控訴人木村との接見を申し入れ、係員の求めに応じて「面会の目的が取材のためでなく、面会内容は一切公表しない」旨記載した誓約書を提出し、同拘置所長から、控訴人木村との接見の許可を受けて同控訴人と接見した。

なお、控訴人らは、名古屋拘置所長は、専ら控訴人対馬が報道関係者であることを理由に、報道関係者の取材目的による在監者との接見を一律に許さないとの方針に基づいて本件各接見不許可処分をしたものであり、被控訴人は当初この事実を認める陳述をしたから、すでに自白が成立していると主張する。確かに、被控訴人の昭和六二年一〇月二七日付けの準備書面には、全国の刑事施設では報道関係者が取材目的で在監者と接見することを認めない取扱いをしており、名古屋拘置所でも、報道関係者の接見が取材目的のものであると判断された場合には接見を拒否するなど、同様の取扱いをしてきたとする記載があり、原審における同日の口頭弁論期日においてその記載内容が陳述されている。しかしながら、被控訴人は、右の準備書面において、同時に、名古屋拘置所長が本件各接見不許可処分を行った理由を、控訴人対馬の申し出た控訴人木村との接見が取材目的のものであることを踏まえて、控訴人木村の人権・名誉、心情の安定ひいては未決拘禁目的に対する悪影響のおそれ、他のマスコミ関係者や他の在監者との公平、刑事施設としての正常な管理に支障を来すおそれの有無等を総合勘案して、当該接見の申出を不許可としたものであると述べており、その準備書面の記載を全体として見ると、これによって、被控訴人が、控訴人らの主張するように、本件各接見不許可処分の理由が専ら報道関係者の取材目的による在監者との接見を一律に許さないとする点にあることを認めたものと解することはできない。そうすると、本件各接見不許可処分が報道関係者の取材目的による在監者との接見を一律に許さないとの理由でなされたとの控訴人らの主張事実について自白が成立しているものとはいえないから、この点に関する控訴人らの主張は失当である。

また、控訴人らは、処分時に考慮されなかった事実を後に処分理由とすることは許されないと主張するが、前認定の事実によれば右主張が理由のないことは明らかである。

四  本件各接見不許可処分の適法性

1  未決勾留は、刑事訴訟法の規定に基づき、逃亡又は罪証隠滅の防止を目的として、被疑者又は被告人の居住を監獄内に限定するものである。そして、未決勾留により拘禁された者(以下「被勾留者」という。)は、(1)逃亡又は罪証隠滅の防止という未決勾留の目的のために必要かつ合理的な範囲において身体の自由及びそれ以外の行為の自由に制限を受け、また、(2)監獄内の規律及び秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性が認められる場合には、右の障害発生の防止のために必要な限度で身体の自由及びそれ以外の行為の自由に合理的な制限を受けるが、他方、(3)当該拘禁関係に伴う制約の範囲外においては、原則として一般市民としての自由を保障される(最高裁昭和四五年九月一六日大法廷判決・民集二四巻一〇号一四一〇頁、同五八年六月二二日大法廷判決・民集三七巻五号七九三頁、平成三年七月九日第三小法廷判決・民集四五巻六号一〇四九頁参照)。

2  ところで、被勾留者の接見に関する法律の定めとして、(一)刑事訴訟法八〇条は、勾留されている被告人は弁護人等同法三九条一項に規定する者以外の者と法令の範囲内で接見することができると規定し、(二)監獄法四五条一項は、「在監者ニ接見センコトヲ請フ者アルトキハ之ヲ許ス」と、同条二項は、「受刑者及ビ監置ニ処セラレタル者ニハ其親族ニ非サル者ト接見ヲ為サシムルコトヲ得ス但特ニ必要アリト認ムル場合ハ此限ニ在ラス」と規定し、「受刑者及ビ監置ニ処セラレタル者」以外の在監者である被勾留者の接見につき許可制度を採用することを明らかにした上、広く被勾留者との接見を許すこととしている。

右の各規定に前記1で説示したところを併せ考えると、被勾留者には一般市民としての自由が保障されるので、監獄法四五条は、被勾留者と外部の者との接見は原則としてこれを許すものとし、例外的に、これを許すと支障を来す場合があることを考慮して、(1)逃亡又は罪証隠滅のおそれが生ずる場合にはこれを防止するために必要かつ合理的な範囲において右の接見に制限を加えることができ、また、(2)これを許すと監獄内の規律又は秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性が認められる場合には、右の障害発生の防止のために必要な限度で右の接見に合理的な制限を加えることができる、としているものと解される。

3  そこで、本件各接見不許可処分の適否について検討するに、拘置所という特殊な集団的拘禁施設の特質を考慮すると、死刑判決を受けた被勾留者と外部者との接見を許可するか否かは、拘置所内の実情に通暁し、直接その衝にあたる拘置所長による個々の場合の具体的状況のもとにおける裁量的判断にまつべき点が少なくないから、障害発生の相当の蓋然性があるとした拘置所長の認定に合理的な根拠があり、その防止のため接見の制限が必要であるとした判断に合理性が認められる限り、拘置所長の右処分は適法として是認すべきものと解するのが相当である。

前認定のとおり、控訴人対馬がKとの接見では誓約書を無視する行動に出、かつ、数回面接していたKの期待に反し、心情を害する報道をしたことを考えると、当初から誓約書の提出を拒否し、積極的に取材目的の接見を希望している本件において、無条件に接見を許可した場合、控訴人木村の心情等には意を用いず、興味本位と見られるような記事を公表する可能性があり、いったん公表されると閲読の制限のみではこれが被勾留者に伝達されることを阻止しえないことは見易いところであるから、名古屋拘置所長が前認定の諸事情の下においては、第一、二審で死刑判決を受け、上告審判決を間近に控え不安定な心理状態にある控訴人木村の心情が害される蓋然性があり、その結果、同控訴人が精神的に動揺して規律違反、職員等に対する暴行、自殺、自傷事故等を起こすことにより、勾留目的を阻害し、拘置所内の規律・秩序の維持上、放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性があるとした同拘置所長の認定・判断には合理的な根拠があるといわなければならない。それ故、右の障害発生を防止し、かつ、控訴人らの利益をも考慮して、控訴人対馬に対し、控訴人木村との接見自体は許可すべきものとしつつも、誓約書を提出することによって接見内容を公表しないことを誓約することを接見許可の条件として控訴人対馬に求めることとした同拘置所長の判断は、社会通念に照らして著しく妥当を欠くものとはいえない。そうすると、控訴人対馬が右のような同拘置所長の求めに応じず(本件接見不許可処分(一)及び(三)の場合)、あるいはこれに応じないことが明らかであったため右のような求めをするまでもなく(本件接見不許可処分(二)の場合)、本件各接見不許可処分が行われたことをもって裁量権の範囲の逸脱又は濫用の違法があるとはいえない。

なお、控訴人らは、名古屋拘置所長は、控訴人木村の刑事事件の上告審判決の確定後に控訴人木村の心情を害するであろうはずの新聞記事の差入れを許可し、控訴人対馬と同木村の接見を四回許可していることからみても、被控訴人が主張する障害発生の蓋然性はなかったと主張する。

しかしながら、〈証拠略〉、控訴人木村(当審)、同対馬の各本人尋問の結果に弁論の全趣旨を合わせると、控訴人木村の死刑判決確定後の右閲読許可に係る新聞記事はその許可から六年以上前の記事であり、しかも、控訴人木村は、右記事の論調を承知していたこと、また、控訴人対馬と同木村の接見の許可は、いずれも本件訴訟事件の打合せを目的とするものであるうえ、控訴人対馬が接見内容を公表しない旨の誓約書を提出したものであることが認められるから、前記認定を左右するものではない。

よって、本件各接見不許可処分に違法はないというべきである。

4  控訴人らは、本件各接見不許可処分は憲法一三条、一四条一項、二一条一項、三二条、国際人権規約一七条等の規定に違反すると主張するので、この点について検討するに、右主張のうち、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利の尊重を定めた憲法一三条の規定を根拠に被勾留者の接見の自由に対する制限は具体的な法律上の根拠がある場合に限って許されるものであるとする点については、在監者に接見することを請う者があるときはこれを許すと定めている監獄法四五条一項の規定は、接見の申出があった場合には必ずこれを許可するという趣旨を定めたものではなく、前記のような一定の事由が認められる場合には、その申出を不許可とすることも許されるとする趣旨の規定と解すべきことは、その規定の文言等からして明らかである。したがって、被勾留者の接見の許可制度は、法律上の根拠に基づくものであるから、憲法一三条に違反するものということはできない。

次に、本件接見不許可処分(一)及び(三)が、控訴人対馬の職業が雑誌編集者であることを理由に、接見内容を公表しない旨の誓約書を提出しない限り在監者である控訴人木村との接見を拒否するのは、職業による差別的取扱いを禁じた憲法一四条一項の規定に違反するとの点については、右の各処分は、専ら控訴人対馬の職業が雑誌編集者であることのみを理由としてされたものではなく、同控訴人の過去における他の在監者との接見の内容の公表に関する事件の経緯やその接見申出当日の言動等を考慮したうえでの個別的な判断に基づいて行われたものであると認められるから、控訴人らの右の主張は理由がない。

また、本件接見不許可処分(二)が憲法二一条の保障する控訴人対馬の取材の自由を制限するものであり、同時に控訴人木村のメディアを通じて表現の自由を行使する権利を侵害するものであるとの点については、確かに、報道関係者の報道のための取材の自由は憲法二一条の趣旨に照らして十分に尊重されるべきものであり、個々の国民が取材報道を目的とするメディアと接触を持つ自由についても、それが憲法二一条の規定によって権利として保障されているものとまではいえないにしても相応の配慮が払われて然るべきものと解される。しかし、右のような取材の自由等は、何らの制約も受けないというものではなく、本件におけるような、本来一般人が自由に立ち入ることを許されていない施設である拘置所に在監中の被勾留者に報道関係者が直接面会して取材を行う自由や被勾留者が報道関係者と直接面会して接触を持つ自由といったものまでが、憲法二一条の趣旨に照らして保障されているものとすることは困難であるから、控訴人らの右の点についての主張は理由がない。

更に、訴訟の打合せを目的とする控訴人対馬の同木村との接見申出を不許可とした本件接見不許可処分(三)は裁判を受ける権利を保障した憲法三二条の規定に違反するとの点については、民事訴訟の共同原告が刑事事件の被告人として監獄に拘禁されている場合に、その共同原告と直接面会して打合せを行った上でその訴訟の準備を行うといった権利までが、憲法三二条の規定によって保障されているものとすることは困難であるから、控訴人らの右の主張も失当である。

また、控訴人らは、在監者とジャーナリストとの接見を制限することは国際人権規約一七条等に違反するとも主張するが、右人権規約一七条は、人格権の一つとしての市民の私生活の自由、すなわちプライバシーの権利又は自由並びに市民の名誉及び信用の保護について定めたものであり、控訴人らの主張する在監者の面会権といったものまでを保障しているものと解することは困難であるし、控訴人らの援用する被拘禁者保護原則も、国連総会において採択された被拘禁者等の人権保護に関する宣言という性質を有するに過ぎないものであり、これが法規としての拘束力を持った条約等に当たるものでないことは明らかであるから、控訴人らのこの点に関する主張も理由がない。

五  結論

以上の次第であり、名古屋拘置所長のした本件各接見不許可処分は適法であるから、その違法なことを前提とする控訴人らの本件各請求は、いずれも理由がない。

したがって、控訴人らの本件各請求を棄却した原判決は相当であり、本件控訴は理由がない。

よって、本件控訴を棄却し、控訴費用の負担について民訴法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 時岡泰 大谷正治 小野剛)

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